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米国知財事情 |
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世界史を動かした知財法
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第2回 ベネチア特許法(その2) 1474年3月19日に発足したベネチア特許法は、15世紀末には確実に定着し、ガラス工芸技術者たちの創造性を強く刺激した。ガラス業界だけではない。金属加工、皮革加工、そして織物業界・・・ベネチア経済は、急速に活性化した。 ベネチア経済の急速な活性化は、イタリア地方全般に影響を及ぼし始めた。特に興味を引くのは、ルネサンスの流れとの関係である。14世紀、ダンテ、ジョトー等を中心にフィレンツェに発したルネサンスの動きはメディチ家の支持を受け、15世紀にはダ・ヴィンチ、ラファエル等の歴史的な天才の花を咲かせた。だが、メディチ家当主コシモ・デ・メディチから孫のロレンツォに引き継がれた経営は、ロレンツォの死去を機に、短期の利益を求めて乱脈経営に走り始めた。その結果は不良債権の山であった。メディチ銀行の崩壊を機に、ルネサンスの主流はミケランジェロを抱えたローマに移る。だが法王庁の足元では宗教的拘束からの開放は限られる。 そこに台頭したのが、特許制度によって経済の活性化したベネチア共和国である。ティツィアーノ、ジョルジョーネ等に代表される明るい色彩感覚の豊かなベネチアの芸術活動は、ルネサンスの主流となって中世ヨーロッパの芸術をリードした。したがって、ベネチアを中心に動き始めたルネサンスの流れは、特許制度を抜きに語ることはできない。 ベネチアに生まれた特許制度は、世界の歴史に前例のない画期的な試みである。一体どうして成功したのであろうか?当時のベネチアにおける社会的背景を探ると、そこには複数の要因が重複して機能しているように思われる。
第一に、優れた知性の自由な交流である。 海運貿易で栄えたベネチアは、古くから他の共和国諸国の他、トルコ、エジプト等のいわゆるオリエント諸国との交流が活発であり、ローマ教会とは一定の距離を保ちつつ、自由の気風に溢れた文化を育てた。教会による厳しい支配を受けていた中世ヨーロッパ諸国の才能豊かな人材がこの自由に引き寄せられたのは不思議ではあるまい。 例えば、宗教改革運動で知られるドイツのマルティン・ルターである。免罪符の発売を機に腐敗の目立つローマ教会を痛烈に批判したルターは、同教会によって破門され、彼の著作(95ヶ条の論題)は発禁処分とされた。ローマ教会に対し中立を守るベネチア共和国は、ルターに出版の機会を与えた。このため、諸国の優れた知性が出版の自由を求めてベネチアを目指した。その結果は頭脳の流入である。例えば、1455年にドイツで発明されたグーテンベルグの印刷機が発展を遂げたのは、実は出版の自由に恵まれたベネチアであった。ミケランジェロも16世紀初頭の一時期にはローマを逃れ、ベネチアで活動した。ゲーテやマキャベリーも好んでベネチアを訪れ、この地に集まる知性豊かな人々と活発に交流した。 そして第二に、知的活動に対する高い経済的かつ社会的評価である。 メディチ家という巨大なスポンサーによる経済的評価に支えられた芸術家の活動によってルネサンスはフィレンツェに華を咲かせた。これに対し、メディチ家のごとき圧倒的な財閥が存在しないベネチアは、市民を中心に社会全体が芸術家の活動を支えた。社会による評価は芸術に限らず、工芸、技術全般における創作を高く評価した。ベネチア特許制度は、この社会全体による知性への高い評価を土台として発展したのである。 例えば、フィレンツェで経済的に行き詰まった科学者ガリレオ・ガリレイを教授として招いたのは、ベネチアの誇るパドヴァ大学(ローマのボローニャ大学に次いでヨーロッパで2番目に古い大学)である。16世紀には、ガリレオが特許を取得した記録が残されている。テコの原理を活用し馬に引かせるポンプは、画期的な灌がい用の揚水装置として注目を集めた。文字通り、一馬力のポンプである。記録を辿ると、ガリレオは当時のヨーロッパで支配的であったアリストテレスの科学理論体系より、むしろ浮力の原理やテコの原理を解明したアルキメデスの実務的な発明の才に触発されていたように思われる。 さらに第三に、芸術と工業製品の融合である。 明るい色彩豊かなベネチア流絵画の手法は芸術にかぎらず、工業製品に強い影響を及ぼした。代表的な工芸品であるガラスや銀製の食器・照明器具、さらにアクセサリーとしての首飾り、腕輪、そして革製装飾品、さらに木製家具に施された洗練されたデザインは、ベネチア製工業製品への評価を高めた。特に、レース織物に関する繊細な技術は圧倒的で、ヨーロッパ社交界における婦人たちの間で熱狂的な人気を集めた。 芸術の工業製品との融合は、イタリア産業に独自の磨き抜かれた魅力を生み出した。現代にも続くイタリア製工芸品への高い評価は、この時代に確立されたものと思われる。 上記のごとく、ベネチアに誕生した特許制度は、様々な要素の複合を背景に市民の知的活動を刺激し、共和国の経済的成長を支えた。 ベネチア共和国における特許制度の成功は、その後の世界史に強烈な影響を及ぼし始める。イギリス、フランスを初めとするヨーロッパ諸国において次々に特許法が導入され、知的財産の保護は1883年、パリ条約の締結によって特許制度は国際的に定着する。一方、アメリカ合衆国においては、憲法に発明の保護が明記され、知財立国政策が導入される。さらに遠く明治の日本政府も近代化を目指して工業所有権制度の制定に乗り出した。 イタリアの片隅の小さなベネチア共和国に生まれた特許法によって、世界史は大きく動き始めるのである。
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