|
|
|
|
ビジネス特許情報 |
|
第3部
ビジネス特許で儲けるための戦略
国企業の事例研究―ジェイ・ウォーカーとプライス・ライン社
|
1.ビジネス方法の開発について a.ジェイ・ウォカーとプライス・ライン社 従来特許の世界と無縁であったニュー・プレイヤー達の参入は、特許の世界に「ビジネス特許」という新しい風を巻き起こした。その中にあって、台風の眼とも呼ぶべき存在は、ジェイ・ウォーカー(Jay S. Walker)率いるプライス・ライン社である。 1998年8月11日、買い手主導型の逆オークションに関するビジネス方法の特許(第5,794,207号)を取得したウォーカー・アセット社は、一躍マスコミの注目を集めた。その後、同特許は、ジェイ・ウォーカーが設立した新会社プライス・ライン社に譲渡される。 プライス・ライン社による逆オークション方式ビジネスは、航空機切符の購入、およびホテル予約等のビジネスを中心に急成長を遂げた。特に、航空券の販売は驚異的で、1999年の売上は何と、80万枚に達した。 巻末資料xをご覧いただきたい。プライス・ライン社のホームページである。ここに示されるとおり、同社のビジネスは、過去1年の間に、航空券の売買、ホテル予約の他、自動車、不動産ローン、スーパーマーケットでの買い物と拡大した。さらに、2000年からは、ガソリンに関しても、全米の主たるガス・ステーションと提携し、市価より約20%安い価格での購入を可能にする。ガソリン価格高騰の中、プライス・ライン社の企画は、注目を集めるものと思われる。 スーパー・マーケットやガソリンへの進出が軌道に乗ったとき、逆オークションは、一般市民の間に広く深く入り込むことになる。そのとき、逆オークションは、我々の日常生活のパターンに大きな変化を招くことになるものと予測される。 さらに注目すべきは、特許の活用法に関するジェイ・ウォーカーのユニークな発想である。ビジネス特許に取り組む日本企業にとっては、最も示唆に溢れた研究対象になるものと思われる。 ジェイ・ウォーカーは、コーネル大学経営学部出身の43才、フォーブス誌の取材によれば、彼の資産は90億ドル(約1兆円)。 彼の生い立ちの跡を辿ってみよう。ウォーカーは、ニューヨークで不動産業者として成功を収めた父親と6才の時、ナチスから逃れてきた母親の間に生まれたユダヤ系米国人である。彼が18才の時にこの世を去った母親は、勝負の才覚に優れ、ブリッジのチャンピオンであった。 母親からこの才覚を受け継いだウォーカーは、幼少の時からゲームに親しみ、米国で人気のモノポリー(事業競争に関するゲーム)でチャンピオンになり、ゲーム必勝法の本まで出版した。9才の時には、新聞を発行し、10才では、ヨーロッパを一人旅、13才では、サマー・キャンプに大量のキャンディーを持ちこみ、売店より安い価格で子供達の売りまくり、小遣いを稼いだと言われる。 特にモノポリー・ゲームに熱中した経験は、彼のビジネス感覚を養う上で多大な影響を与えたものと思われる。 大学を卒業した後、彼は、メール・オーダーの企業を立ち上げるビジネスに没頭した。ここでビジネスの基本的な仕組みを体験し、資金をプールし、次の企画を練り始めた1991年、彼の頭に、まったく新しい可能性が閃いた。ビジネス特許である。 きっかけは、国際的銀行業務における送金システムである。1000億ドル(約11兆円)単位の資金が海外口座にコンピュータ送金されるシステムは、公開鍵と呼ばれる暗号施錠・解読に関するソフト・ウェアによって安全が保たれる。このソフトが特許によって保護されている事実を知ったとき、ウォーカーの頭に将来のビジネス構想が広がった。 メール・オーダー・ビジネスに特許を活用できないだろうか。 1995年、ウォーカーは、暗号技術の専門家ブルース・シュネイヤー、インターネットの専門家スコット・ケースおよびジェームス・ジョラッシュと組んで、ウォーカー・アセット社を設立する。特許開発会社である。 彼は、ここで発明に関し、二つの基本的な方法論を取り入れる。ウォーカー・アセット社は、この二つの方法論によるアプローチを身につけることにより、わずか4年の間に、ビジネス特許のリーダーに成長した。ビジネス特許の開発を目指す日本企業にとって、最も参考になる実例である。節を改めて説明しよう。 b.エジソン方式のブレーン・ストーミング 第一に、トーマス・エジソン方式による発明活動である。エジソンは、1093件にのぼる特許取得で知られる史上最高の発明家である。特に電球、電話、蓄音機、映写機の発明は、その後の世界の生活様式を改変させたスケールの大きな発明であり、19世紀最大の英雄として名声を残した。だが、ウォーカーの眼から見たエジソンの魅力は少々異なる。 彼は、エジソンが新しい技術に取り組むシステムに注目した。エジソン以前の発明家達は、個人的な作業によって発明に取り組んでいた。発明とは、孤独な作業であった。これに対し、エジソンは、数人の助手とのブレーン・ストーミングによって新しい技術次々に開発した。つまり、エジソンは、チーム・ワークにおける優れたリーダーであった。エジソンは、ニュージャージー州メンローパーク市に発明研究所を設立し、そこで助手達とともに研究に没頭した。 エジソンの研究方法は独特である。彼は、複数のプロジェクトを同時に進行させる。各プロジェクトは少人数のエンジニアで構成される。エジソンは、毎日、各プロジェクトの作業に参加する。そこでは、激しいブレーン・ストーミングが繰り返される。エジソンは、助手達の輪の中に入って、プロジェクトをリードする。討論が行き詰まったとき、エジソンは次のプロジェクトに顔を出す。複数のプロジェクトにかかわることによって、彼は集中力を維持し、さらにプロジェクト間の競争による相乗効果を活用した。 エジソンによるブレーン・ストーミングの訓練を受けた助手の中から、数々の画期的な技術者が育ってゆく。その一人が後にフォード自動車を設立したヘンリー・フォードである。自動車のタイアで名を挙げたファイアストーンもエジソンの弟子である。 日本企業も無縁ではない。新渡戸稲造による「武士道」に興味を抱いたエジソンは、日本人とも積極的に交流する。野口英夫、高峰譲吉、渋沢栄一・・・ そんな中に、エジソンを慕って渡米、ブレーン・ストミングの訓練を受けた日本の若いエンジニアが二人いた。1887年1月、ニューヨーク州はスキネクテディ市にあるエジソン・マシン・ワークス社に参加した岩垂邦彦は、エジソンとの緊密な交流を経て、1985年帰国、ウェスタン・エレクトリック社の出資を得て、電話機器を中心とする会社を設立した。岩垂の創設した企業は、見事に発展し現在の日本電気にいたる。もう一人、藤岡市助は、エジソンの下で電球の製造に従事した。1886年帰国後、竹のフィラメントを用いた電球の製造販売会社を設立した。これが現在の東芝の発足である。 日本の電気・電子産業を代表する企業2社が、実はトーマス・エジソンの流れをくむという歴史上の事実は、意外に知られていない。 ジェイ・ウォーカーの話に戻ろう。 発明開発会社としてのウォーカー・アセット社の社員は、25名、その半数は、ウォーカーを含め、ビジネス特許の開発に携わる発明家、残りは特許を専門とする弁護士である。つまり、企業そのものが、開発研究部と特許法律事務所が合体した組織である。 ウォーカー・アセット社では、プロジェクトごとに、遠慮のないブレーン・ストーミングが開かれる。ジェイ・ウォーカーは、それらのプロジェクトのすべてに参加する。そこでは、専門の枠を飛び越えて、遠慮のない討論が繰り広げられる。そこから、まったく新たなアイデアが次々に生まれてくる。週2件のペースで特許が出願される。現在までに取得したビジネス特許の数は、36件(具体的内容に関しては、資料a参照)、さらに250件を超える出願が蓄積されている。 ビジネス特許に限ってみれば、この数字は、超大型企業であるIBM、マイクロ・ソフト、シティバンクに匹敵する実績である。社員わずか25名の企業としては、異常な効率である。 その秘密の一つについて、ウォーカーは語る。最大のポイントは人の選択である。ユニークなクリエイティビティに優れた明るい(Positive)人物、理論に偏らず、実験を厭わない資質を見極めなければならない。教育レベルから見れば、理論にとらわれがちな博士号取得者ではなく、バランスのとれた修士号どまりが好ましい。だが誤解していただきたくない。修士号にこだわるのではなく、人物の能力、資質が判断の最重要基準である。 c.客のニーズに合わせた発明開発 第二に、顧客最優先の発明開発である。 伝統的な発明家達は、共通の常識を持つように思われる。「発明とは、技術の進歩を極めた頂点に咲く花である」 だから、発明家達は、自己の技術の進歩を最優先する。技術が進歩しない限り、発明は存在しない。進歩のない技術に特許は許されるべきではない。 ウォーカーはこの常識を信じない。彼は、真の発明とは、顧客が求める技術を提供することにあると説く。つまり彼の信ずる発明の本質は、その有用性にあるとみる。彼の発明へのアプローチは、マーケット・ニーズを正確に見極めるところから出発する。客は何を求めているのか。この答えが見つかったときが発明のチャンスである。逆に、いかに科学的に進歩した技術であっても、客のニーズに合わない発明は価値がない。 事実、彼の代表的な発明である逆オークション方式は、客のニーズを徹底的に分析するところから始まった。例えば、航空券の購買は、航空会社または代理店が設定した価格その他の条件を前提に成立する。顧客としては、航空会社が一方的に指定した条件を受けるかいなか、選択の余地は限られる。だが、顧客が希望条件を指定し、複数の航空会社が逆に入札する方式をとれば、選択の余地は無限に広がる。顧客としては希望の条件が適い、航空会社としては、空席を回避することが可能となる。 逆オークション方式は、爆発的な人気を集め、特許を買い取ったプライス・ライン社は、1999年には80万枚の航空券を販売したという。さらに、ホテル予約、レンタ・カー、新車販売、住宅購入資金借り入れ・・・逆オークション方式による取引は次々に窓口を広げている。 発明会社ウォーカー・デジタル社は、今、顧客のニーズの発掘に懸命である。彼らの発明活動の半分は、顧客のニーズを掘り出すところにある。ニーズに答えるところに優れた発明がある。科学的な進歩性にこだわるのは発明家の自己満足に過ぎない。重要なのは、顧客にとっての有用性ではないか。顧客が本当に欲する物、そしてサービスを提供するのが発明家の仕事である。 現在ウォーカー・アセット社が力を注ぐ、新たなターゲットの例を挙げれば、スーパーマーケットにおける逆オークションである。食品等の日用品の購入に関しても、顧客、販売店にとって無駄は多い。逆オークションによって価格を事前に設定し、品物を取りに行く形態の取引が近々実現するものと予測される。単価は安いが、市場規模は限りなく大きい。前述のごとく、2000年からは、さらにガソリンの販売も同じ手法で全米展開する。 ここで逆オークションの顧客を拡大すれば、航空券、ホテル予約等の他のサービスについて、プライス・ラインのビジネスの裾野が広がる。 そのとき、我々の生活様式は、さらに大きな変革を遂げることであろう。 2.効果的な特許作戦―パテント・ポートフォリオ戦略について ウォーカー・アセット社の取得した特許を分析すると気のつくことがある。パテント・ポートフォリオ戦略である。 パテント・ポートフォリオ戦略とは、同一分野の発明に関し、複数の特許を意識的に取得することにより、特許権を強化し、競争能力を高める戦略を指す。優れた発明であっても、1件だけの特許では、その特許が無効になれば価値は無になる。このため単独の特許権は、他社の攻撃を招き易い。ライセンス交渉においても、他社は条件の切下げを試みるのが常である。 パテント・ポートフォリオ戦略に従えば、重要技術に焦点を絞り、網の目のごとく複数の特許を取得する。例えば、プライス・ライン社の逆オークション方式に関し、親会社に相当するウォーカー・アセット社は、特許第5,794,207号を中核に、第5,797,127号、第5,862,223号、さらにプライス・ライン名義で第5,897,620号と、少なくとも4件の特許を保有する。さらに12件の出願が審査中である。 逆オークションの中心となる第5,784,207号特許は優れた発明である。市場価値は極めて高い。だが、詳細に検討すれば、逆オークションに類似のビジネスには、公知の資料(例えば、コンピュータに代えてファックスを用いた逆オークション方式)がないわけではない。従って、米国特許商標庁による再審査、あるいは連邦地方裁判所による権利無効の主張で争う可能性がないわけではない。もし、この特許1件だけならば、権利無効で争う企業が現れても不思議ではない。 ところが、前記のとおり、ウォーカー・アセット社とプライス・ライン社は、既に4件の特許を取得し、さらに12件の出願が審査中である。合計16件におよぶパテント・ポートフォリオは強力である。これに立ち向かうのは、あまりにリスクが大きい。このため、逆オークションに興味を持つ企業はすべて、プライス・ライン社からライセンスを得なければならないことになる。 逆オークションに関心を示す企業の数は多い。事実、プライス・ライン社は、現在多数の企業とライセンス交渉中であり、巨額の特許収入を得るのは確実と見られる。たった一社、プライス・ライン社の強力なパテント・ポートフォリオを無視して、ライセンスなしで逆オークションに参入した企業がある。ビル・ゲイツ率いるマイクロ・ソフト社である。その詳細については後述する。 パテント・ポートフォリオ戦略は、決して新しい特許戦略ではない。ジェイ・ウォーカーは、これを巧みに活用しただけである。パテント・ポートフォリオ戦略は古くは、RCA社によるカラー・テレビ技術、インテル社やTI社による半導体技術、IBMによるコンピュータのOS基本技術、イーストマン・コダック社によるカラー・フィルム、ポラロイド社によるインスタント・カメラ技術、最近では、ATTやモトローラ社の電話通信、デル・コンピュータによるカスタム・メイドのパソコン技術・・・様々な米国企業により活用されている。 パテント・ポートフォリオの起源は、世界大恐慌後のニューヨーク株式市場における大型投資機関が、投資効率を改善するために開発した株式ポートフォリオ戦略にさかのぼる。株式ポートフォリオ戦略においては、リスクの分散が目的であった。 パテント・ポートフォリオ戦略は、より攻撃的である。その基本的構成は次のとおりである。 第一に、企業における技術開発に際し、市場の動向に沿った長期事業計画(例えば、10年)を慎重に立案する。将来のマーケット・ニーズの正確な予測が重要なテーマとなる。 第二に、長期計画に従って、研究開発を重点技術に絞り込む。つまり、研究開発は、市場における将来性を有する技術に限定し、不要な研究は、一切除外する。必要な場合は、外部機関を利用する。 第三に、重点技術に関しては、意識的に多数の特許を取得する。市場のスケールに応じて、特許出願数の目標を設定する。複数特許の間にギャップがあるときは、ギャップを埋めるための出願も怠らない。逆に非重点技術に関しては、特許は思いきって切り捨てる。 第四に、取得した特許に関し、パテント・マップを作成し、他社の活動を監視する。模倣が発生した場合は、競業企業の能力、組織に応じて、警告、差止め、あるいはライセンス交渉等、最適の対応を計画的に立案する。場当たりの対応は回避しなければならない。 つまり、パテント・ポートフォリオ戦略とは、技術の市場における重要度に応じて、特許出願を差別化し、最小予算で最大収入を上げるためのプログラムと言うことができるであろう。 ジェイ・ウォーカーは、この戦略を使いこなすために、ウォーカー・アセット社の組織を効率的に作り上げた。無駄はいっさい見られない。従来の他社によるパテント・ポートフォリオ戦略とジェイ・ウォーカーによる戦略の違いを指摘するならば、それは全社的なパテント・マインドの徹底である。 ウォーカーは言う。「まず特許を取れ。それからビジネスを始めるんだ」(Get patents and start business.) ウォーカー・アセット社の社員は全員、例外なく特許意識が高い。一人一人がパテント・ポートフォリオ戦略を追求する。だから、組織は小さいが、わずかの期間で、ビジネス特許の頂点を極めることができたのであろう。 日本企業の中でも、パテント・ポートフォリオ戦略を試みる企業が出始めた。日立、東芝、キャノン、リコー・・・この戦略は徐々に成果を上げるものと予測される。もし、日本企業が、ウォーカー・アセット社のごとく、全社的にパテント・マインドを高めることができるならば、驚くべき成果を上げることになると思われる。 3.特許収入を最大化するためのシナリオについて ジェイ・ウォーカーが特許に本格的な関心を持ち始めたのは、1995年、つまり5年前に過ぎない。某特許弁護士との対話がきっかけであると言う。 高度に専門化された現在の特許実務の中にあって、5年の経験は素人の域を出ないではないか。わずか5年の間に何が起きたのであろうか。私は、この男の生き方に興味を持ち始めた。様々な角度から資料を検討した結果は、次の通りである。 ジェイ・ウォーカーの成功の秘密は、実は、この素人の発想にあるように思われる。 特許の基本概念を理解したウォーカーは、自分の経験に特許を重ね合わせてみた。彼が自信を持てるのは、少年の頃から身に付けたモノポリー・ゲームとコンピュータ、それに起業家として体験した株式会社設立とメール・オーダーのビジネスに限られる。 それらに特許の知識を重ね合わせたとき、驚くべき結果が生じたのである。 モノポリーは、アメリカの家庭では、きわめて人気の高いゲームであり、アメリカの子供達は、この遊びを通じて、ビジネスの基本を学ぶのが普通である。ホテルやレストラン等の企業の競業をサイコロを用いて争う双六を複雑にした知的ゲームは、大人も子供も楽しめる。ウォーカーは、モノポリーの持つ、ビジネス・リスクの擬似体験に夢中になった。遊びを超えた知識で必勝法をマスターし、チャンピオンを獲得した。ゲームの達人である。こうして彼は少年時代に、市場の原理、特に競業における独占の意味と、その実現法について学んだと言う。 次にコンピュータである。青年時代に普及し始めたコンピュータの世界は彼を魅了した。特にインターネットの出現は、ビジネスにおける時代の曲がり角を予感させた。 起業家としてのウォーカーは、小さなメール・オーダーの会社を設立し、軌道に乗せたところで株式を譲渡するベンチュア・ビジネスの基本を体験した。ベンチュア・キャピタルは、投資に際し企業のすべてを知りたがる。だが、通常企業は不利な事実を隠したがる。起業家ウォーカーは、逆にベンチュア・キャピタルの立場にたって、設立企業のすべてを開示した。情報公開である。この方針が受け入れられ、ウォーカーは、15社におよぶメール・オーダーの企業の設立に成功した。ここでは、いかにベンチュア・キャピタルにとって魅力ある企業を設立するか、そのポイントを身につけた。 ウォーカーは、これらの体験に特許を重ね合わせた。 まず、メール・オーダーを顧客最優先に変形した逆オークションとインターネットを組み合わせる。この事業を独占したい。そこで特許が登場する。だが、このままでは、事業資金が不足する。特許を資産として、子会社を設立すればよい。そこで出来たのが、プライス・ライン社である。情報公開を徹底し、ベンチュア・キャピタルから資金を導入しよう。プライス・ライン社は、ゼネラル・アトランティック・パートナーズから、2000万ドルベンチュア資金を導入することに成功した。プライス・ライン社の当初の株式は16ドル、1年後には、何と130ドルに急騰する。なお、ナスダックにおけるプライス・ライン社のコードは、PSLNである。 こうして、ウォーカーは、特許を中核として独占事業をスタートとするとともに、特許会社を設立して、当初の事業運用資金をベンチュア・キャピタルから調達した。さらに逆オークションに興味を示す企業からライセンス収入の実績を上げ、その上、将来のライセンス収入を武器に株式を公開して、市場の資金も導入することに成功した。 ジェイ・ウォーカーの成功は偶然の産物ではない。すべて計画的に進行した点で注目に値する。特許を資産とする子会社の設立、情報公開を活用したベンチュア・キャピタル資金の導入、ライセンス収入を活用した株式公開・・・彼の特許の活用法は、伝統的な特許実務家の発想を超えてダイナミックである。その新鮮な発想は、彼が伝統的な特許実務に拘束されることなく、自由に他のビジネスと融合させたところから出発したように思われる。 こうして、ウォーカーは、5年の間に、特許を最大限に活用することによって、何と資産1兆円を築き上げたわけである。彼ほど、特許の価値をあらゆる角度から活用し尽くした人物はいないように思われる。 4.訴訟戦略について a.プライス・ライン対マイクロ・ソフト 1999年10月13日、プライス・ライン社は、米国特許第5,794,207号他2件、計3件のビジネス特許に対する権利侵害を根拠に、マイクロ・ソフトおよび子会社であるエクスペディア社を連邦地裁に提訴した。 プライス・ライン社のプレス・リリースに従えば、事件の経過は次のとおりである。 プライス・ライン社の株式上場が迫った1999年3月、ジェイ・ウォーカーとマイクロ・ソフト社CFOグレッグ・マフェイの間で、株式譲渡を含む特許ライセンスに関する交渉が重ねられた。市場価格を大幅に下回るマイクロ・ソフトの提示に、交渉は難航した。 同年夏には、マイクロ・ソフト社最高経営責任者ビル・ゲイツが自ら交渉を指揮して、ウォカーとの間で協議が続けられた。その間、ウォーカーは、逆オークション方式に関するネット・ビジネスの手法に関し、様々な情報を提示して、ライセンス契約締結に向けて力を注いだ。 ところが交渉は決裂、ビル・ゲイツは、プライス・ライン社の特許は無視して、ホテル予約に関する逆オークションを用いたネット・ビジネスを開始する旨通告した。ホテル・プライス・マッチャーと呼ばれるマイクロ・ソフト社によるネット・ビジネスは、基本的に逆オークション方式を使用しており、第5,794,207号特許の権利を侵害する可能性が高いものと思われる。常々、特許・著作権等の知的財産権の保護強化を唱え、コンピュータ・ソフトに関する特許、著作権を活用して、マイクロ・ソフト社を発展させたビル・ゲイツとしては、意外とも思われる方針決定である。 放置しておけば、他社も次々に逆オークション・ビジネスに参入し、市場は、回復不能な混乱に陥るであろう。ジェイ・ウォーカーは決断を迫られた。 今、最先端を行く米国企業による特許訴訟戦略は、基本的に二つに大別される。特許権を長期的、かつ効果的に活用するためには、中途半端は最悪である。いづれかの戦略を選択しなければならない。 b.第一の戦略 第一の戦略は、次の通りである。初めに弱小企業を被告として訴訟を展開し、早期に勝訴の判決を重ねた上で、強敵と対決する。理由は、弱小企業が被告とは言え、連邦裁判所における勝訴判決を得たとき、判例法上の効果により特許権の価値は強化される。このため、将来的な法廷闘争能力は確実に改善される。強敵との対決には有利である。 この戦略を用いて成功を収めた代表例としては、デジタル時計のコロン点滅技術に関する特許を保有するリファック社が著名である。段階的に複数の企業を相手に提訴し、ライセンス収入を挙げ、さらにそれを資金に次第に強力な企業と対決する。1980年代、総計1500社を超える企業を次々に提訴し、巨額の特許収入を得たリファック社の戦略は、その後の米国企業の訴訟戦略に大きな影響を及ぼした。 特許収入総計1200億円を得たと言われる個人発明家ジェローム・レメルソンによる戦略も、基本的にリファックによる戦略をモデルにしたものと見らることができるであろう。また、レーザー技術の基本特許を保有するパトレックス社は、この戦法を活用することによって、200社におよぶ企業からライセンス料を獲得したことで知られている。 c.第二の戦略 第二の戦略は、次の通りである。弱小の相手は当面放置し、最初から最大の競業企業を被告として提訴する。理由は、最大の敵を倒したとき、権利の評価は争う余地がない程に強化される。そのとき、弱小企業は戦わずして、競業を断念し、あるいは高額のライセンス料の支払いに同意するのが普通である。 この戦略の代表例としては、インスタント・カメラを開発したポラロイド社の特許戦略が著名である。ポラロイド社によるインスタント・カメラの市場が拡大したとき、イーストマン・コダック社が類似品をもって、市場に参入した。放置すれば、他のカメラ企業も間違いなく市場に参入する。そうなれば、ポラロイド社が生き残る可能性は疑問である。 ポラロイドは、最大の競業企業であるイーストマン・コダック社に正面から戦いを挑んだ。企業規模で遥かに劣るポラロイド社としては苦しい戦いであったが、1985年、連邦地方裁判所は、ポラロイド社の特許の有効性、権利侵害を認め、イーストマン・コダック社に対し、生産の差止め、製品回収、さらに1200億円という巨額の損害賠償を命ずる判決を下した。 この判決によって、ポラロイド社の特許の評価は絶対的なものとなり、他社はすべて、インスタント・カメラの市場への参入を断念した。この戦略が成功し、ポラロイドは生き残った。 d.対決―ジェイ・ウォーカーとビル・ゲイツ ジェイ・ウォーカーは、第二の戦略を選択した。最大の強敵であるマイクロ・ソフト社を被告とする提訴である。苦しい戦いが予測される。この訴訟に敗れれば、逆オークション・ビジネスを基盤とするプライス・ライン社は立ち直れない深い傷を負うことになるであろう。弱小企業を被告として選択すれば、戦いは遥かに楽である。ウォーカーは、何故リスクの大きい道を選択したのであろうか。 最大の要因は時間であると言われる。逆オークション方式のビジネスを試みる弱小企業も存在する。これらの企業を被告として提訴すれば、プライス・ライン社としては、勝訴を得るのは困難ではあるまい。勝訴判決を重ねた上で、マイクロ・ソフト社と戦うのならば、リスクは遥かに小さくなる。だが、弱小企業相手の訴訟であっても、勝訴判決を得るためには時間がかかることを避けられない。平均2-3年におよぶ訴訟期間の間、マイクロ・ソフト社の活動を放置すれば、逆オークションの市場におけるプライス・ライン社のシェアは確実に低下し、企業としての勢いは衰えるであろう。仮に特許権の評価が高まったとしても、企業としての闘争能力が低下することは避けられない。 こうして、ジェイ・ウォーカーは、世界最大の財力と巨大な組織を有するビル・ゲイツに挑戦する道を選んだ。ウォーカーがマイクロ・ソフトとの対決の道を選んだ最大の要因は、前述の通り、時間であろう。だが、それだけだろうか。 ジェイ・ウォーカーの生い立ちをつぶさに観察するとき、そこには、別の要因が隠されているように思われる。 ブリッジのチャンピオンであった母親の血を引いた少年時代のウォーカーは、モノポリー・ゲームのチャンピオンになるまで熱中した。このとき、彼は企業の生存競争に関する論理を身に付けた。大学で経営学を専攻した後、起業家として、15に及ぶメール・オーダーの会社を立ち上げた経験の中で、コンピュータ技術とリスク・マネジメントを身につけた。1995年、特許の世界に触れたウォーカーは、本能的に特許の持つ将来性を直感した。 メール・オーダーで既に成功を収めながら、彼はさらに大きな飛躍を夢に見た。メール・オーダーとコンピュータ、それに特許を重ね合わせれば、そこには想像もできないような壮大なビジネスが広がるのではあるまいか。 こうして閃いたのが、逆オークションの発想である。従来と異なり、顧客主導の商売こそ、市場が長い間、潜在的に探し求めていたビジネスである。彼は確信した。 新しい市場の開拓は困難を極める。リスクは深刻である。だが、少年の頃から育んだウォーカーのチャレンジ精神は逆に刺激された。彼はメール・オーダーで築いた財産を投じて、プライス・ライン社を設立し、逆オークション・ビジネスにすべてを賭けた。 リスクは承知の上である。逆オークションの市場が有望ならば、強敵が出現するのは、当然の展開である。現に、世界最強のマイクロ・ソフト社が参入した。それは、プライス・ライン社が切り開いたビジネスがきわめて有望であることの証である。いづれ対決しなければならないのならば、今、ここで決着をつけよう。 ジェイ・ウォーカーは、無謀な博徒ではない。だから、強力なパテント・ポートフォリオの構築、そしてライセンス戦略、訴訟戦略・・・超一流の特許弁護士との協力による長期的作戦に基づいて行動する。時間という要因に基づいて、最強のライバル企業を提訴の相手に選んだことは間違いあるまい。 だが、彼の決断の裏には、時間という論理とは別の勝負に賭ける直感があったものと思われるのである。 マイクロ・ソフト社は、わずか20年の間に巨大な市場を確保した。コンピュータ言語の「ベーシック」に始まり、基本ソフトの「ウィンドーズ」、ワープロの「ワード」、インターネット・ブラウザーの「エクスプローラ」、表計算の「エクセル」・・・その規模は、米国政府が独禁法違反で提訴するほどまでに拡大した。その最大の武器となったのは、特許・商標・著作権・トレード・シークレット等の知的財産権である。ビル・ゲイツは、知的財産権を自在に扱って競業企業をねじ伏せた。 ビル・ゲイツ率いるマイクロ・ソフト社のマーケット・パワーは驚くほどに強力である。だが、そこに奢りはないか。 これまでにビル・ゲイツによって叩き潰されてきた企業の数は知れない。社員200名のプライス・ライン社は、マイクロ・ソフト社とは、組織の規模において比較にならない。ところが、今、ビル・ゲイツに向かって立ち上がった男は並みの男ではない。ジェイ・ウォーカーは、冷静な判断能力と経験を持った非凡な経営者である。それだけではない。並外れた情熱を持った人間である。逆オークションというまったく新たなビジネスをゼロからスタートさせ、社会生活に浸透させるところまで動かした能力と情熱は無視できない。 これらの資質を備えた人物が真剣になって立ち向かうとき、そこには底知れないパワーが生まれるものである。 ビル・ゲイツは、いづれジェイ・ウォーカーの持つ非凡な才能に気がつくであろう。ジェイ・ウォーカーの発するエネルギーは、ちょうどビル・ゲイツが経済界に登場したシーンを思い起こさせる。つまり、二人は同じ資質を備えた好敵手と見られるのである。 ビル・ゲイツとジェイ・ウォーカーの戦いは、将来の国際経済の動向を左右する歴史的な対決になるものと思われる。 |
| 米国知財事情へ戻る |