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ビジネス特許情報 |
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第2部 米国ビジネス方法特許の実態
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1.テクノロジーが世界経済を動かす 新しい技術が経済社会に変革をもたらしたことは、世界史の中では珍しいことではない。 産業革命を迎えた18世紀の英国は、グーテンベルクによる印刷機の発明によって、社会生活が一転した。聖書の大量印刷に始まる文書の普及は、文学から政治経済にいたるまで、市民の生活様式に変革をもたらした。 19世紀後半の米国は、トーマス・エジソンの出現によって、電球、蓄音機、電話、電報を中心とする企業活動が急速に発展し、短期の間に生活様式は、劇的な転換を遂げた。 20世紀の前半は、ヘンリー・フォードによる大衆自動車、ライト兄弟による飛行機の出現が市民の行動範囲と流通に大変革をもたらした。 20世紀の後半は、半導体の出現による電子機器、特にコンピュータの小型高性能化で、生産、通信、そして文化を根底から揺り動かした。 2000年を迎えた今、インターネットの急激な普及が、政治、経済、文化のあらゆる側面を揺り動かし始めた時代として歴史に刻み込まれることであろう。 この大きな変革の時代にあって、ビジネス特許は、経済活動の将来を支配する要因になるものと思われる。この時代の特徴は、インターネットを中核とする新たなビジネスが国境を超え、相互の取引を可能にした点にあるように思われる。 インターネットをきっかけとするボーダーレス経済は、既存の政治・法律の枠を飛び越えて機能する。つまり、インターネットを活用するビジネス特許が動かす国際社会は、経済が政治と司法をリードする構造を取るものと予測される。20世紀末の米国では、既にこの兆候が明らかに伺えるのである。 2.深く静かに潜行したビジネス特許 ビジネス特許の起源は、いささか古く、1908年にさかのぼる。ホテル・セキュリティ事件における帳簿管理方法が最初に注目を集めたビジネス特許である。(詳細に関しては、第1部 2.参照) この事件においては、ビジネス特許が特許発明の対象になり得るかいなかが争われた。ところが実際に下された判決においては、このビジネス特許は、類似の会計処理方法が既に公知であったことから、新規性がないとの理由で権利の無効が宣言された。ビジネス特許自体が特許発明の対象になり得るかいなかの論点は、判決理由では触れられていない。 しかしながら不思議なことに、以降の判例においては、ホテル・セキュリティ事件に習って、ビジネス特許は特許発明の対象とはならないとの判例が続き、いつの間にか、「ビジネス方法除外の原則」( Business Method Exception )なる法理論が定着していたのである。この法理論の源を辿れば、ホテル・セキュリティ事件における判決に行き当たる。だが、ビジネス方法除外の原則を支持する根拠は、その判決理由には見当たらない。 根拠なき法理論は、一人歩きし、学説・判例は、「ビジネス方法除外の原則」に従って、実務をリードした。この実務は、1908年にいたるまで疑問を提起されることもなく継続し、定着した。 ところが、1980年、チャクラバーティ事件におけるバイオ(微生物)、そして1981年、ディーア事件におけるコンピュータ・ソフトが続けて連邦最高裁によって、特許発明の対象となることが認められたのを期に、静かな転機が訪れる。 米国の持つ自由な発想は、基本的な疑問を提起した。それまで特許を許されなかったバイオとコンピュータ・ソフトが特許の対象になるのなら、新たに特許の対象になる技術が他にあるかもしれない。この時期は、ちょうど、コンピュータが急速に普及した時期に重なる。ソフトが特許の対象になるのなら、ソフトを用いたビジネス方法が特許を許されても不思議ではあるまい。 こうして、ビジネス特許が再び注目を集め始めた。だが、「ビジネス方法除外の原則」の壁は厚い。多くの出願がビジネス方法を理由に拒絶された。それでも、企業によっては、ビジネス方法を無理やりメモリーやプリンタ等のハード部品にからませてビジネス特許を取得する例が徐々に増え始めた。米国特許分類第705類に含まれるビジネス方法に関し、1980年代には、平均50件(年間)のビジネス特許が発行されている。(第1図参照) 図が入ります。 1990年代初頭までには、500件を超えるビジネス特許が発行された。だが、これらの特許は登録されただけで権利行使された事例は皆無であった。90年の歴史に支えられた「ビジネス方法除外の原則」が障害となって、権利者は訴訟の提起をためらった。 このため、ビジネス特許の数は確実に増え続けたが、その存在は、社会の表面に現れることはなく、深く静かに潜行していった。 3.ビジネス特許―戦国時代の幕開け 潜行を続けていたビジネス特許は、1990年代末には、4000件を超えていた。社会の裏に潜んでいたビジネス特許が、突然米国経済界の注目を集めたのは、1998年7月、ステート・ストリート銀行事件においてビジネス特許の有効性を積極的に認めた連邦高裁判決がきっかけである。 この事件がマスコミに大きく取り上げられた直後、ビジネス特許をめぐる大型の紛争が、続々と勃発した。潜行し、溜まり続けたエネルギーが爆発するごとき戦国時代の幕開けである。代表的な事例を紹介しよう。 a.ステート・ストリート銀行事件(ハブ・スポーク投資システム) 1998年7月、米国経済界に大きな衝撃が走った。 特許を専門に扱う米国連邦高等裁判所(CAFC)が、ビジネス方法を対象とする特許権を有効と認定し、侵害企業に差し止めを命じたのである。ステート・ストリート事件と呼ばれる訴訟は、世界の知的財産権実務に新しい風穴を開ける効果をもたらした。 一体何が起きたのだろうか。 特許権者シグネチュア社は、組織的投資機関として知られる企業である。1995年、投資家を募るための効果的方法として、画期的な投資システムを考案した。ハブ・スポーク・システム(中心機関と周辺機関)と呼ばれるこの方式に従えば、中心となる車軸に相当するリーダー組織(ハブ機関)が大型の投資戦略を担当する。この周囲に複数のファンド(スポーク機関)が車軸の周囲に広がるスポークのようにハブ機関を取り囲む。ハブ機関を中心とする投資活動は、時々刻々、コンピュータにより投資の現状を算定評価され、各スポーク機関は、その情報に常時アクセスを許され、所有比率に応じて、個々の投資効果の正確な状況を知ることが可能となる。 秒、分刻みで変動する株式市場への投資において、正確な情報への瞬時のアクセスは、決定的な利点となる。また、税金対策においても、効果を発揮する。このため、シグネチュア社の開発したシステムは、米国投資家の間で人気を呼び、急速に普及した。 ハブ・スポーク・システムは、複数のファンドを取り込むことにより、投資金額の大型化を可能にする。大型化された投資機関は、その潤沢な資金を活用して、株式市場への支配力を高めて行く。このため、ハブ・スポーク・システムは、株式投資の世界において、画期的な方式として評価を高めた。 近年の米国株式市場の異常とも思われる活性化は、このハブ・スポーク・システム、あるいはその変形システムによる貢献を抜きに語ることはできない。日本の株式市場が活性を取り戻した背景にも、ハブ・スポーク・システムによる米国からの資金流入の跡をうかがうことができるのである。 シグネチュア社の開発したハブ・スポーク方式の投資活動は、人気を集めた。中でもステート・ストリート銀行は、大型投資におけるリーダーとして、この方式に強い興味を示した。早速ライセンス交渉が開始されたが、条件面で行き詰まった。 シグネチュア社の立場からは、ハブ・スポーク・システムは、開発に長期にわたる試行錯誤と巨額の資金を費やしたユニークなプログラムである。ライセンス料は、特許の価値に応じた金額を期待するのは当然である。 これに対し、ステート・ストリート銀行は、まったく異なる評価を下した。シグネチュア社は、特許権を取得したが、典型的なビジネス特許であって、当時の判例法に従えば、権利の有効性には何の保証もない。従って、高額のライセンス料を納めても、権利が他社によって無効にされれば無駄である。交渉は決裂した。ライセンスが得られないまま、ステート・ストリート銀行は、リスクを覚悟でハブ・スポーク・システムの投資方式を採用した。 シグネチュア社からの提訴は避けられない。ステート・ストリート銀行は、自ら、特許権無効を主張する確認訴訟を提起した。実務家の多くは、ビジネス特許は、1908年来のホテル・セキュリティ事件の判例に基づくビジネス方法除外の原則に従い、シグネチュア社の特許は無効との判決が下されるものと予測した。 事実、連邦地裁は、「ビジネス方法除外の原則」(Business Method Exception)、そして「数学的算定方式除外の原則」(Algorithm Exception)に基づき、シグネチュア社のビジネス特許は、特許に値しないと断じ、特許権無効の判決を下した。 ところが、連邦高裁による判決は前述のごとく、予想を裏切り、シグネチュア社が完勝した。連邦高裁は、ホテル・セキュリティ事件に言及し、「ビジネス方法除外の原則」を根拠のない妄信的論理として切り捨てた。「数学的算定方式除外の原則」に関しては、重要なのは、発明が数学的算定方式を含むかいなかではなく、発明が産業にとって、有用であり(useful)、具体的であり(concrete)、かつ有形的(tangible)な効果を有するかいなかであると判示した。 その上で、シグネチュア社のビジネス特許は、ハブ・スポーク方式によるデータ処理の結果、投資の結果が常時正確に表示されるビジネス・システムは、有用、具体的、かつ有形的な効果を有すると事実を認定した。この事実認定に基づき、連邦高裁は、ビジネス特許の有効性を認める判決を下した。 シグネチュア社は、今、この特許のライセンス収入を拡大させるプロジェクトを展開中である。大型株式投資が一般化するにつれ、シグネチュア社のハブ・スポーク投資方式に関するビジネス特許の持つ経済的価値は、さらに高騰するものと思われる。 b.アマゾン・ドット・コム事件(ワン・クリック・オーダー) 1999年9月、米国経済界に次の衝撃が走った。急激な成長を続けるインターネットによる商品販売業界の中でも、その先頭を走るアマゾン社が、ネットによる注文方式に関する基本特許を獲得したのである。ネット販売業界にとっては、寝耳に水のできごとであった。 アマゾン社の特許を簡単に説明しよう。 ネット販売においては、商品を注文する側の顧客コンピュータと注文を受けるサーバー・システムが交信する。顧客は、スクリーンに掲示された商品の中から、選択した商品の番号を指定して注文する。複数の商品を注文する場合は、次々に商品を指定することが可能である。商品の指定を終えた顧客は、最後に、顧客の氏名、住所の他、クレジット・カードの番号を記載して注文を完了する。その手順は、ちょうどスーパー・マーケットでショッピング・カートに商品を積み込み、最後にレジで清算する日常の買い物に類似する。従って、この方式は、ショッピング・カート方式と呼ばれる。 この種のネット販売は、アマゾン以前から公知の方式である。だから特許の対象にはなりえない。だが顧客は注文のたびに、自分のデータをコンピュータを介してサーバー・システムに送らなければならない。特に、クレジット・カード番号を開示するには、ある種のためらいがある。インターネットによる情報の送達は、複数のコンピュータを介して行われる。そこには、どんなワナが隠されているか分からない。情報をコード化することにより、秘密を保持する方法も知られている。だが、コード化したとしても、一流のハッカーにかかれば、解読は可能であり、リスクを完全に解消することは期待できない。その上、手続きが複雑化し、一般の顧客にとっては不便きわまりない。 アマゾンは、顧客の立場からこの問題に取り組んだ。アマゾンの特許のポイントは二つある。第一に、初回の注文者のみが氏名、住所、クレジット・カード番号等を登録することによって、特定の識別記号を与えられる。2回目からは、この識別記号を記載するだけで、他の情報は一切不要となる。第二に、注文に際しては、必要な商品を特定するために、マウス・ボタンを1回クリックするだけで他の操作は不要である。 つまり、アマゾン方式によれば、クレジット・カード等個人的情報の漏洩を最小限に抑え、かつ注文に際してのコンピュータの操作は、ボタンを1回押すだけで完了する。従来のネット販売には、少なくとも5回のボタン操作が必要であったことと比べると、操作は単純きわまる。このため、アマゾンの注文方式は、ショッピング・カート方式と対比して、ワン・クリック方式と呼ばれ、あっと言う間に全米中に普及した。 こうして、1999年夏を迎えるころには、クリスマス商戦を控え、多くのネット販売企業が、このワン・クリック・オーダー方式を取り入れ始めた。アマゾン特許が公開された9月は、この動きがピークに達したときと一致する。このため、ネット販売に携わる企業を中心に、米国コンピュータ業界は、あわてふためいた。 アマゾンにとっては、市場を支配するための絶好のチャンスである。早速10月には、手始めに、最大のライバル企業であるバーンズ・ノーブル社(barnsandnoble.com)を被告に特許権侵害訴訟を提起した。 米国経済界が注目する中、この訴訟は、異常なスピードで進展を見せた。何と41日後の12月1日、地裁判事は、アマゾンの申請した仮処分を認める決定を下したのである。仮処分は、本訴における勝訴が明白に予測される場合にのみ発行される緊急処分である。判事は、特許の有効性および権利侵害を全面的に支持し、クリスマス商戦を控えた重要な時期を考慮に入れ、アマゾンの特許権を全面的に指示する決定を下したのである。 仮処分の発行は、本訴における勝訴の可能性が大であることを前提とする。このため、本訴においても、アマゾンが勝訴を得るものと予測される。 そのとき、アマゾンは、類似のネット販売に携わる多数の競業企業に対し、次々に提訴の道をとるものと予測される。インターネットによるアクセスに国境はない。従って、日本企業によるネット販売方式であっても、アマゾンの開発したワン・クリック方式をとるときには、特許権侵害の疑義は免れない。 アマゾンの保有するビジネス特許は、ワン・クリック技術方式を中核に、広大な権利範囲に及ぶ基本特許である。ネット販売に力を注ぎ始めた日本企業にとっては要注意である。ワン・クリック方式を採用するかぎり、アマゾン特許に関するリスク管理は、きわめて重要な課題になるものと思われる。 c.プライス・ライン事件(逆オークション) 商品の売買は、通常、売り手が提示する商品と販売条件に対して、買い手が応じる形で取引が行われる。買い手から商品と価格を指定して、売買を申し込む場合もあるがまれである。 だが、インターネットを活用すれば、買い手主導の取引形態も可能になるのではないか。インターネットがまだ未成熟であった1996年、この点に目をつけた男がいる。名前を、ジェイ・ウォーカー(Jay S. Walker)という。 メール・オーダーを中心に数々のベンチュア・ビジネスを立ち上げた経験を持つジェイ・ウォーカーは、1980年に始まるプロ・パテントの時代の流れに注目した。将来のビジネスはパテントを中心に展開すると判断した上で、ウォーカー・アセット社を設立した。アセット(Asset)とは、知的財産権を意味するネーミングである。 ジェイ・ウォーカーの発明哲学はユニークである。伝統的な発明活動は、自己の技術を極めた延長線上に沿って発明が生み出される。このため、伝統的な発明家は、より高度の技術にこだわるのが普通である。技術的に高度でないものに対して特許を求めるのは、発明の理想に反するように思われる。 彼が発明を生み出すプロセスは逆である。彼は、顧客の立場に立って考える。一体何が欲しいのか。顧客が欲する未知の技術が見えたとき、それが彼の発明の完成である。技術的に高度かいなかは無関係である。 ウォーカーは、インターネットを用いた買い手主導の取引形態に目をつけた。顧客が自ら欲する物やサービスを、顧客の欲する価格で購入できれば、何と素晴らしいことではないか。飛行機切符、劇場のチケット、自動車、ホテル・・・彼は、これを逆オークション(Reverse Auction)と名づけて、ウォーカー・アセット社の名義で特許を出願した。1996年9月4日のことであった。 タイミングも絶好であった。ステート・ストリート銀行事件における劇的な判決直後の1998年8月11日、逆オークションのビジネス方法に関するウォーカーの出願は、特許を許された。ネット販売業界にとっては、衝撃的な出来事であった。 その権利範囲は、逆オークション方式の取引を広く包含する。ここにその権利範囲の構成を概略する。買い手と少なくとも一つの売り手の間の取引を促進するためにコンピュータを使用する方法で、次の事項を包含する。
ウォーカーは、プライス・ライン社を設立し、特許を同社に譲渡した。プライス・ライン社を中心に、逆オークションのビジネスを普及させるねらいである。ウォーカーの着想は見事に当たった。逆オークションのビジネスは、当初から顧客の支持を得て、最初の90日間で何と航空券4万枚を売りまくった。こうして逆オークション手法により、顧客が商品の価格を指定する取引は、急速に米国社会に浸透した。 多数の企業が、このビジネス方法を取り入れた。その代表的な存在がマイクロ・ソフト社である。マイクロ・ソフトは、1999年10月、プライス・ライン社は、逆オークション特許を根拠に、マイクロ・ソフト社と子会社エクスペディア社を特許権侵害で提訴した。 d.コンラッド対トヨタ他事件(遠隔サービス・アクセス・システム) 2000年2月8日、個人発明家アラン・コンラッド氏は、遠隔サービス・アクセス・システムに関する特許権侵害に基づき、日米の主要企業39社を被告にテキサス州連邦地方裁判所に提訴した。トヨタ、GM等の自動車企業の他、電気会社、航空会社、レンタ・カー会社、ヒルトン、マリオットのホテルまで巻き込む大型の特許訴訟である。 これらの中で日本企業は、トヨタ、ホンダ、ニッサン、マツダ、NEC、および東芝の6社である。 この件に関連し、コンラッドは、第5,544,320号、第5,696,901号、そして第5,974,444号の3件の特許を保有する。この特許に関しては、米国政府が既にライセンスを取得しており、その条件として、他の第三者が希望した場合は、適正な料率でライセンスを発行することが定められている。このため、被告企業としては、少なくとも差止めの危険は回避されていることになる。 個人発明家が39に及ぶ異業種大企業を相手に提訴するのは異例である。この種の訴訟は、実質審理が始まる前の初期の段階での対応によって、結果が大きく異なる。コンラッド氏は、一部の被告に対し、有利な条件での早期の和解案を提示するものと予測される。和解する企業が出たとき、その和解金は、次の段階での軍資金となって残る企業を圧迫する。従って、初期のケース・マネジメントがコンラッド訴訟の結果を左右するものと予測される。 個人発明家、あるいは小企業が多数の企業を被告に提訴するのは、1980年代に活躍した特許管理会社リファック社、そして1990年代現代のエジソンと呼ばれた故ジェローム・レメルソン氏以来のことで、その成り行きが注目される。 e.その他 オンラインによる広告の最大手、ダブル・クリック社は、マーケットサーチの専業企業L90社を広告サービス方法に関するビジネス特許権侵害で提訴した。この事件において勝訴を得れば、他のライバル企業にも攻撃を開始するものと予測される。 事務処理機器の大手、ピットニィ・ボーズ社は、郵便切手自動処理方法に関するビジネス特許侵害でE-スタンプ社を提訴した。 従来、特許訴訟とは無縁であったマリンバ社は、コード化されたソフトウェアのオンライン上のアップデート方法に関するビジネス特許の侵害で、ライバル企業であるノヴァダイン社を提訴した。 NES社は、ソフトウェア・パッケージに関するビジネス特許に関する侵害で、オークションの最大手イーベイ社を提訴した。 注文生産方式に関し、42件の特許および特許出願を保有するデル・コンピュータ社は、ライバルであるコンパック社の業務を慎重に監視中である。権利侵害が確認され次第、提訴の準備は完了している様子である。 その他、多数の企業が、ビジネス特許を根拠に攻撃の準備に力を入れ始めた。ビジネス特許戦国時代は、これから本格的に始まるところである。 4.国際的ビジネス特許侵害が日本企業に襲いかかる 1999年4月現在の統計に従えば、米国におけるビジネス方法特許の総計は、4037件を数える。これに対し、日本におけるビジネス方法特許の総計は、307件に過ぎない。 1998年までは、特許出願の数は増えたが、実際に権利行使する企業は現れず、不気味な沈黙が続いていた。その主たる理由は、ビジネス特許の有効性に関する基本的な疑問が解消されていなかったためと思われる。特に障害となっていたのは、1908年のホテル・セキュリティ事件をきっかけとするビジネス方法除外の原則である。 ところが、1998年7月、ステート・ストリート銀行事件において、CAFCは、この認定を誤認と断じ、ビジネス方法であっても、産業の発展に貢献し、他の特許要件を満たす限りにおいて、特許発明の対象となり得るとの判断を下した。CAFCによる判決は、ビジネス方法を実施する業界に衝撃を与えた。 次いで、1999年12月、ワシントン州連邦地裁は、アマゾン・コム社による特許権侵害に関する仮処分の申請を認め、競業企業であるバーンズ・ノーブル・コム社による侵害行為の差し止めを認めた。アマゾン・コム社による特許は、ネット販売に関する基本的な操作(ワン・クリック・オーダー)を開示しており、ネット販売にかかわる業界に再び衝撃を与えた。 これらの動きがきっかけとなって、ビジネス特許に関する活動は、今後、極めて活発になるものと予測される。現に、プライスライン・コム社が逆オークションに関する特許権に基づき、マイクロ・ソフト社を提訴、ニュージーランドの女性発明家が、ヤフー社をネット販売特許権に基づき提訴する等、インターネットをめぐる米国業界は、特許戦争を迎えた。逆に見れば、現段階では特許戦争は米国企業間に限られる。 だが、インターネットには国境がなく、ボーダーレスが特徴である。このため、米国における局地戦争は、近い将来、日本、ヨーロッパを始めとする他の先進諸国家を巻き込む世界戦争に発展する可能性を秘めている。 世界戦争は、次のようなシナリオで勃発するものと予測される。 従来、特許権は、EC特許を除き、属地主義の原則に基づき、各国独自の実務に従うのが通例である。ところが、インターネットには国境がないため、新たな問題を提起する。 米国のビジネス特許に関する侵害の認定に際しては、米国内にサーバー、およびサイトがあり、米国内でアクセス可能な場合、侵害要件を満たすことは明白である。 疑問となるのは、外国(例えば日本)におけるサーバーに対する、米国内でのアクセスに関し、米国特許権の侵害要件が満たされるかいなかである。満たされていると認定される場合、日本の業者であっても、米国ビジネス特許に基づき米国で提訴される事態が発生する。 筆者の調査によれば、現時点において、上記の疑問に明瞭に回答する判例は存在しない。米国を含めて、各国の特許制度は、この新しい問題に対処する機構を備えていないのが現状である。 一方、米国内における州間の管轄をめぐる争いを見る限りにおいて、上記国際間の侵害認定に類似する状況が複数の判例において明らかにされている。これらは、特許権侵害ではなく、商標権、および著作権をめぐる争いに関する事件であるが、特許侵害における判断にも援用されるものと思われる。 侵害判断におけるポイントをまとめると、次の通りである。ユーザがインターネット・サイトへのアクセスを有し、同サイトを介して、サーバーと直接取引を行う場合(interactive)には侵害が成立する。これに対し、ユーザーは、インターネット・サイトからは情報を得るだけであって、直接の取引は、他の媒体(電話、FAX、手紙等)による場合(passive)には、侵害は成立しない。 つまりユーザーが業者と直接コンピュータにより取引を行うように設定されたプログラムに関しては、サーバーが外国であっても、米国内でのアクセスが可能であり、直接取引きが可能な場合は、侵害が成立することになる。例えば、amazon.comおよびpriceline.com方式のごときビジネス方式を外国で実施した場合、米国ビジネス特許を侵害し、米国内で提訴される可能性が高いものと予測される。 日本企業によるビジネス方法の実施を具体的に考えてみよう。 サーバーが日本にあっても、米国内でアクセスが可能な状況では、上記のごとくサイトの内容によって判定されるものと予測される。つまりサイトが米国内のユーザーを対象とする場合においては、前記のごとく、サイトの内容が、"interactive"あるいは"passive"であるかによって侵害は判定されるものと予測される。 サイトの内容が米国内でのアクセスを意図しない場合(例えば、日本語のみのサイト)は、侵害の成立は否定される可能性が高いものと予測される。ただし、仮に日本語のサイトであっても、米国からの現実の取引が多数に増えた場合は、侵害が成立する可能性が高くなるものと思われる。判断基準は、米国内のユーザーによるアクセスを期待する意図の有無と現実の使用実績のバランスによるものと予測される。 インターネット・ビジネスに関する主要な特許を保有する米国企業(例えば、アマゾン・ドット・コム、プライス・ライン・ドット・コム、イーベイ・ドット・コム)は、現時点では、米国内の競業企業への対処で追われている。だが、これらの訴訟が一段落したとき、当然ながら、ビジネス特許戦争は、さらに拡大するであろう。そこでは、国際的対立が避けられないものと思われる。 特に日本は、遅れ馳せながら、電子商取引を急速に拡大する方向に向かい始めた。日本企業によるインターネット事業が国際的に拡大すれば、次の標的として狙われるのは確実である。 現に、多くの米国企業が、ビジネス特許の出願を国際的に強化し、米国に限らず、日本を初めとするアジア諸国、そしてヨーロッパ諸国に積極的に拡大する方針を取り始めた。 これに対抗して日本企業もビジネス特許の取得に熱を入れ始めた。だが、米国企業は、既に、1980年代初頭からビジネス特許の取得を始め、1990年代末には、4000件を超えるビジネス特許が蓄積されている。日米間の歴史的蓄積の差は大きい。ずばり、日本は10年遅れた。 しかしながら、ビジネス特許をめぐる具体的紛争が始まったのは、1998年と日が浅い。従って、先行しているとは言え、米国企業にとっても、しばらくは試行錯誤の時代が2000年代初頭までは続くであろう。 日本企業としては、この間に全力を尽くして、国際的競業に耐えられるビジネス特許の知識、能力、そして体制を整えるべきであろう。 |
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